コメント投稿が完了しました。
投稿いただいたコメントは学校が内容を確認した後、サイトに公開されます。学校の方針により公開されない場合もございますのでご了承ください。
ポスト詳細
2026/03/03
創成館から羽ばたく生徒の一人…
好きな言葉は「努力に勝る天才なし」。
好きな食べ物は「寿司」。
好きな学校行事は「体育祭が一番好き。最後はジャパンに行ってて出られなかったけれど」。
最も大事にしている言葉を体現した高校3年間を創成館で過ごした彼の名は森下翔太…
入学当初「体の線が細く、球速もなかった」(稙田監督)。
2年の夏、先に頭角を現した同級生・奥田晴也は甲子園で登板。
新チームで臨んだ秋の県大会、奥田がエースとなる一方で森下はベンチ外。その悔しさがバネとなり冬季練習でウエイトトレーニングを徹底。「ここで諦めてしまったら、この先の人生でいいことはないと思った」。
そして3年の春、努力が徐々に開花し始め背番号「11」で登板した4月の九州大会のエナジックスポーツ(沖縄)戦、「感覚をつかんだ。人生が変わった試合だった」。
続く6月の会長杯、自身最速となる149キロを計測。
夏の長崎大会、全5試合で先発出場した背番号「1」は3連覇の立役者となった。
迎えた「夢の舞台」甲子園、小松大谷(石川)との開幕戦、無四球13奪三振の快投で完投勝利。2回戦は先発奥田との好リレーで神村学園(鹿児島)を完封撃破。チームの目標である「夏2勝」を達成した。
この活躍が評価され選出されたU18ワールドカップ(W杯)の日本代表、開幕戦を含む2試合に先発して日本の銀メダル獲得に貢献。「つらかったことが70%だったけれど…、最後の1年間で全部塗り替えられた」。充実した高校ラストイヤーだったと同時に、幼いころから抱いていた「プロ野球選手になりたい」という思いがより強くなった。
卒業後は駒大に進む。4年間の目標に「球速は最低155キロ。直球が打たれない投手を目指す」を掲げる。夢を叶えるべく、努力家の18歳は新たなステージのマウンドに立つ。
(2026/3/2記事📰より抜粋)

(2025/10/15インタビュー記事📰より抜粋)
-あらためて甲子園を振り返ってみて。
小松大谷との開幕戦は、回を重ねるごとに修正できて、変化球のコントロールも良かった。大舞台で自分のピッチングができたことは、これから先の野球人生で自信になった。神村学園との2回戦は(同級生の)奥田が無安打のピッチングをしていた。自分が投げていたら負けていたかもしれない。
-その活躍が評価されての日本代表入り、1年前に今の自分の姿を想像できたか。
2年秋の段階では試合でも投げられずに、高校卒業後に野球を続けるかも悩んでいたぐらい。全く想像できなかった。甲子園が終わって帰省中に、稙田監督から代表入りしたと電話をもらったときは「本当ですか」と聞き返してしまった。それほど信じられず、最初は実感もなかった。
-W杯について。開幕投手を務めるなど、活躍が際立っていたが。
甲子園も開幕戦で、ジャパンでも開幕戦で投げられると聞いたときはうれしかった。直球など自分の持ち味をしっかり出すことができたし、開幕戦で早瀬朔投手(神村学園)と九州同士のリレーで抑えられて良かった。
-高校から地元熊本を離れて長崎へ。3年年間を振り返って。
中学時代の実績がなく、最初はレギュラーになれるか不安があったけれど、自立したいと思って寮生活を選んだ。人として成長することができたと思う。創成館に来て本当に良かった。
-進路と目標を。
東都リーグの駒澤大学に進学予定。国際試合を経験して、まだまだ自分の実力が足りないと感じた。大学で頑張って体を鍛えて、筋肉量とか全てにおいて通用する人になってからプロを目指したい。
ポストへのコメント
もっと見る